どうして言語を学ぶのでしょうか
今は、何語でも、けいたいですぐ訳すことができます。だから、言語を学ぶことは、もう大切ではないと思う人もいるでしょう。でも、本当にそうなのでしょうか。私は、前より学んだほうがいいと思います。
去年、二ヶ月半、日本を旅行しました。そのころ、まだ四ヶ月ぐらいしか日本語を勉強していなかったのですが、少なくとも少しなら会話ができると思っていました。でも、それはまちがいでした。着いた時、何も分かりませんでした。会話もかんばんもぜんぜん分かりませんでした。それで、すぐけいたいを出して、アプリにたよりました。毎日、日本語を使わないで、けいたいだけで生活していましたが、だんだん、何か足りないとかんじるようになりました。これでは、本当に日本のぶんかを体験していると言えるのでしょうか。
ある日、一人の日本人のおじいさんに出会いました。夕方、おじいさんが私がとまっていたホステルに着きました。私は一人でコンピューターの前にすわっていましたが、なぜかおじいさんが私の方に来て、話しかけました。なんとなく、けいたいを出すチャンスがありませんでした。初めは、中々上手く話せませんでしたが、二人ともあきらめるつもりはありませんでした。いっしょにがんばって、だんだん楽しくなりました。私は、おじいさんが毎週四国から来て、岡山の大学でフランス語を勉強していると聞いて、びっくりしました。おじいさんでも、あきらめないんだと思いました。そして、何日もおじいさんと話しましたが、話し始めるのは、いつもおじいさんからでした。
しかし、おじいさんが帰る日、おじいさんの重そうなにもつに気づいて、てつだいたいと思いました。でも、どうやってそれを言うのか分かりませんでしたので、困っていました。けいたいにたよりたかったのですが、それはダメだと思って、自分でやってみました。むずかしくて、まちがえて、はずかしかったです。でも、おじいさんはにっこりして、ありがとうと言いました。
その時、むねがあたたかくなって、けいたいではできないことに気づきました。けいたいを使うと、会話はかんたんになります。でも、心は近づきません。
この経験から、分かりました。言語を勉強することは、ただことばをりかいするためではありません。むずかしくても、自分で話すと、ほかの人ともっと近くなれると思います。そして、自分をもっと信じることができる気がします。
テクノロジーは生活をべんりにしてくれます。でも、べんりになりすぎると、大切なことをわすれるかもしれません。
だから、旅行の時からもうすぐ一年日本語の勉強を続けてきたし、これからも続けていきたいです。